(脊柱管狭窄症、腰の痛みに特化した田中整骨院)長崎市、西彼町、諌早市、島原市、大村市、佐世保市

脊柱管狭窄症・腰椎分離症専門院

田中整骨院  

◆受付時間◆                    ◆休診日◆      〒851-2106
午前 9:00~13:00     木曜午後・日祝日   長崎県西彼杵郡時津町左底郷87-1  
午後 15:00~19:00

(土曜日 9:00~17:00

院長プロフィール

田中昭則(たなかあきのり)
1955年生まれ O型 うお座
趣味:料理、旅行、スポーツ
家族構成:妻、娘二人の4人家族
座右の銘:時間の使い方で人は金にもなるし鉛にもなる
仕事:一番の親切は最短期間で症状を改善すること

モットー:「利他の心」を持つ、全従業員の幸福を追求する
■柔道整復師
■針・灸師
■あんま・マッサージ・指圧師
■長崎市バレーボール協会普及指導員(スポーツトレーナー)
■長崎県西彼杵郡バレーボール協会普及指導員(スポーツトレーナー)


昭和30年:長崎市外海町出身

昭和45年:長崎私立海星高校卒業
  バレーボールと出会い3年間バレーに明け暮れる

昭和48年:国際観光専門学校卒業
  スカッシュと出会い2年間スカッシュに明け暮れる

昭和50:朝日海外旅行株式会社入社
  約5年間勤務、その間営業、添乗員など海外を周る。
  その後会社を辞め、あらゆるバイト、放浪を続けながら
  自分がやりたい事が見つからず、もがき苦しむ数年間

昭和61年:関西柔整鍼灸専門学校入学
  柔道整復師、針・灸師、あんま・マッサージ・指圧師の資格
  を取得する。在学中、辻整形外科勤務。その間サントリー男子
  バレーボール部でトレーナー修行(毎週1回往復3時間かけて)
  休みの日はマッサージ専門店でアルバイト。勉強と仕事に
  明け暮れた貧困と希望に満ちた5年間

平成3年:田中整骨院開業
  開業して2ヶ月目に台風19号に遭い施術所が半壊する
  自分に合った施術法に巡り合えず、様々なセミナーに参加し
  技を模索し続ける

平成6年:現在の場所に移転

平成19年:長崎スポーツ研究所を併設
  スポーツ選手の為のスポーツ障害専門施術を確立


 

学生時代、高総体の10日前に足首を捻挫し高校最後の試合に出場出来ませんでした。
やっとの思いでレギュラーになったので、その悔しい思いは今でも忘れることができません。

今思えば試合には十分間に合うような捻挫でした。

しかしその当時はケガに対する知識が全くなかったのです。

(アイシングもなくウサギ跳びを奨励するような時代でした)

現在もケガで練習復帰できない選手、このケガが改善すればもっと実力を出せる選手、

試合に間に合わない選手などスポーツ障害で悩んでいるスポーツ選手は数多くいます。

そんなスポーツを愛する人達の為に、

ベストコンディションで早くコートに立てるよう微力ながら手助けできればと思っています。

現在はバレーボール協会のスポーツトレーナーとして中総体、

高総体、新人戦などの大会には顔を出し、

捻挫の施術やテーピングなどのボランテア活動を行っています。

 

「スポーツ選手を助けられる仕事がしたい」その思いでこの仕事を始めました。
 
「このケガさえ無かったら…」こんな選手を一人でも無くしたいと思っています。

田中昭則

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『オスグット』、『ムチウチ症』、『産後の骨盤調整』、『尾骨専門治療』

田中整骨院

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 ご予約・お問い合わせ

TEL:095-881-1918 

E-mailoffice-tanaka@mxa.cncm.ne.jp

※ホームページを見てとお電話下さい。

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自己紹介させていただきます

プロフィール

自己紹介させていただきます。

田中整骨院 代表 田中昭則です

■1955年3月12日生まれ

父の仕事の関係で西彼杵郡外海町神浦で生まれました。小さいころはまるまる太っていて

内気で女の子とばかり遊んでいました。現在は過疎地になっていますが、当時は池島炭鉱

の全盛の時で人が多くて、映画館やパチンコ屋もありました。

 

■小学生くらいのころ

小学6年生の時に長崎市内の北大浦小学校に転校しました。神浦ではクラス1番走るのが早かったのが転校すると、そうでもないことが分かり相当自信を無くしたのでした。

絵を描くのが得意で、西日本新聞社の交通安全ポスターでは銅賞を頂きました。

 

■中学生のころ

相変わらず目立たない生徒でしたが、仲間と打ち解けずバレー部を辞め

バドミントン部に入部、中総体ではベスト8に入りました。

文化祭では英語劇にも挑戦しました。主役になろうとセリフを完璧に暗記しましたが、やっぱり主役にはなれず黒子に徹したのでした。

 

■高校生の部活

再び好きなバレーボールに入部。毎日毎日バレーの球ひろいばかりやっていました。

レギュラーの道は程遠いものでした。

お蔭で様で球ひろいだけは誰にも負けない自信がありました。

高校3年最後の高総体の1週間前に足首を捻挫して、やっとつかんだレギュラーも外され

失意のどん底を味わいました。補欠選手の気持ちは痛いほど分かります。

 

■高校3年のころ

担任の先生に「田中君は将来どんな仕事をしたいのか?」と聞かれ、

「駅前の観光案内所みたいな所で働きたい」と言ったら観光専門学校を

紹介してもらい静岡の熱海に行くことになりました。

 

■静岡の熱海で

熱海の国際観光専門学校ではホテルのアルバイトばかりしていました。

初めての寮生活、長崎弁をからかわれ1週間程誰とも喋りませんでした。

熱海で生まれて初めてピザを食べました、あまりの美味しさに1週間毎日ピザ通いをしました。

運動もやりました、スカッシュ部に入り生まれて初めて全国大会の経験をしました。

初めてのスキー合宿など、この2年間は人並みに青春を謳歌しました。

 

■サラリーマンのころ

 

A海外旅行株式会社に入社しました。スーパーダイエーの子会社でした。

新入社員男子15名の中で2人だけ専門学校卒業出でした。知識、経験あらゆる面で

大学出との差を感じました。しかし、営業だけは負けないとモーレツに仕事しました。

 

添乗員として何回も海外に行きました。24歳の時に京都営業所の責任者になりました。

この早い出世が間違いでした。営業所の売上のプレッシャー、ストレスに負けてしまい1年後、退社することになりました。

 

 

■放浪のころ

 

仕事、アルバイトを十数種類変えました。何をやっても上手くいかない、

何を真剣にやりたいのかも答えが出ない、人生に対して後ろ向きの堕落願望で

自分自身との戦いを放り出して無駄な時間を過ごしていた頃でした。

 

■やっと見つけた生き甲斐

 

アルバイトの繰り返しでギックリ腰になり、生まれて初めて中国鍼を経験し

「世の中にはこんな世界があるんだ」と自分の人生を変えるキッカケを見つけた30歳の春でした。

 

■鍼灸柔整専門学校のころ

関西針灸柔整専門学校に31歳で入学。5年間の授業料(約1千万円)は自力だったので、

いつも貧困の生活を送っていました。プロテインと牛乳だけで1週間過ごしたこともありました。

平日は整形外科で働きながら学校へ行き、日曜祭日はマッサージ治療院でアルバイトをしました。

5年間で休んだのは正月お盆を含めほんの数日間だけでした

(そうしないと生活出来なかったのです。)しかし苦労とは全く思いませんでした。

夢や目標があったからです!

 

とことん勉強しました!若者は自分で目覚めた時、すごい力を発揮するもんだなと思いました。

放浪時代の堕落願望は完璧に卒業していました。

そして、とうとう按摩マッサージ師、鍼灸師、柔道整復師の国家資格取得!

■開業

平成3年7月に田中整骨院を時津町で開業しました。「本当にここに来て良かった」と喜んで頂けるような治療院を作るのが目標です。

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『オスグット』、『ムチウチ症』、『産後の骨盤調整』、『尾骨専門治療』

田中整骨院

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